『塚本邦雄の青春』における引用歌の誤植
楠見朋彥『塚本邦雄の青春』p.188に、塚本が『靑樫』1947年9月号で発表した歌として次の引用があります。
向日葵の花に戀はるるさいはいの太陽と吾と夏野を西【さら】す
ここで、この「さいはい」は「さいはひ」(幸ひ)の誤植である可能性が高いと思われます。(注:「花」は旧字体で引用されています。またルビは「西」の左側(縦書きの書籍です)に振られており、楠見によるものということかもしれません。)
仮に「さいはい」が誤植でないとして、日本国語大辞典でその意味を調べると、「再拝」「再敗」「采配」「剤配」「儕輩」「擠排」の六つの候補があります。語の一般性から考えると「采配」か「再拝」ですが、どちらもぴんと来ません。他に可能性があるとすれば「儕輩」(仲間、同輩の意)で、例えばこれが以下で述べる相聞の相手を指しているとして、あるいは三角関係が生じているとして歌を解釈できなくもないですが、やはり不自然な読みになるという印象は否めません(京都のY君、コメントありがとう)。またいずれの語であったとしても、平仮名書きである点にも疑問があります。
さて、この歌は後に塚本と結婚する竹島慶子との相聞であるらしく、特に竹島が『靑樫』同年8月号に発表した次の歌に注目すべきと思われます(前掲書同ページより引用)。
落魄と思はぬ日さへ追はれ来て遂に立たされし夏野なりけり
すなわち、塚本が9月号の歌を作る時点で既に8月号を入手していたと仮定すれば、9月号の歌にある「――君に――」という但し書き(引用の表記からは副題なのか詞書きなのか判然としません)と併せて、「向日葵の」は「落魄と」に対する返答と考えられます。
形式の上では、「夏野」という語が結句の頭に共通して使われている点はもちろん、もし「吾」を「われ」と読むのであれば、四句の音数が三五に対して五三となっている点にも注意すべきです。内容としては、「立たされし夏野」を受けて、「君」を夏野に立つ「向日葵の花」に喩えていると考えられ、これは「太陽」と「吾」の並置とも符合します。つまり、塚本の歌は「向日葵の花(=君)に恋われることの幸いにおいて、(向日葵に恋われる)太陽と(君に恋われる)私は(向日葵=君の立つ)夏野を明るく照らす」と解釈できます。
なお、「さいはい」が誤植であるとして、それがどの段階におけるものかは、例えば『靑樫』の誌面を実際に確認するなどしてみなければ分かりません。とはいえ、他の引用箇所では疑問点のある場合には「(ママ)」などの注がつけられているので、『塚本邦雄の青春』における誤植ではないかという気はします。もしそうではなかったとしても、何らかの注が必要な箇所ではあると思われます。