野村剛史『話し言葉の日本史』

野村剛史『話し言葉の日本史』(歴史文化ライブラリー311、吉川弘文館、2011)を読んだ。

古代から明治初期までの話し言葉についての本であるが、通史というよりは時代毎に特定のトピックを取り上げており、その点肩すかし的な印象もあるとはいえ、それぞれのトピックについてはよく書かれている。

目次は以下の通りである。

  • 言語学的な準備―プロローグ
  • 古代の日本語(上代話し言葉をさぐる/音韻の変化)
  • 古代・中世の文法(中古・中世の話し言葉をさぐる/係り結びを考える/移り変わる文法)
  • 中世話し言葉の世界(鎌倉時代の仮名書き漢語/漢語を使う人々)
  • 文字となった話し言葉(中央語と方言/近世スタンダードの誕生)
  • スタンダードが東京語を作った―エピローグ
  • 補説 音声と音韻―言語学初心者のために

言語学的な準備」では、話し言葉と書き言葉、口語体と文語体、言語の基層と表層が、ページ数の約半分を割いて見通しよく解説されている。例えば

明治期の言文一致運動に対して、話し言葉と書き言葉は本質的に異なるのだから、言文一致などということは不可能である(……)という批判があったのである。これは「話し言葉」と「書き言葉」との相違を、「書き言葉口語体」と「書き言葉文語体」との相違に、混沌とずらし込んでいるだけのことであって、結局「口語体」と「文語体」の違いを見逃してしまう結果となる。(p.11)

という部分。そして引用箇所に続いて口語体と文語体の違いが基層と表層という概念を用いて説明される、という具合である。

「古代の日本語」では、例えば上代特殊仮名(遣い)の異なる段に渡る甲・乙の割り振りをどうするかという問題から音価推定の話に入り、そこで八母音説のみだけではなく、六母音説、原音依拠説に触れるなど、プロローグ同様よく練られた構成と適度な詳しさを見ることができる。また音韻変化の話から仮名遣いの問題に移り、

世に言う「歴史的仮名遣い」とは「いろは仮名遣い」にすぎず、また、「いろは仮名遣い」を直接に反映するまとまった作品資料は、『和名抄』しか存在しないと言っても過言ではない。(p.58)

と述べている部分など、(主張の妥当性は別にして)目配りが行き届いている。

「古代・中世の文法」では、まず助動詞に触れ、

先ほどの「鳴きて越ゆなり」のような表現の場合だが、そんな物事の捉え方(引用者注:「耳で聞いて(音から)わかる」という「なり」)は、現代には(中世以降ずっと)ない。(……)現代人と古代人はことがらに対する感覚が違うということになるわけである。しかも、助動詞的な表現は言語の基層に属するのだから、この異なりは基層的な感覚の違いということになる。(p.72)

と述べられる。学術的にどこまで厳密なことが言えるのかという問題はあるにせよ、外国語学習において名詞の単複の区別を知った場合などからの類推によっても、確かにそういう側面はあるなと改めて思わせられる。続いて係り結びや格助詞ガの文法史が話し言葉性に注意を置きつつ展開されるが、話が細かくなることと、他にも文献を持っていることもあって、今回は斜め読みにとどめた。

本書を大きく前半と後半に分けるとすれば、ここまでは前半である。分量的な面もあるが、後半からは人口動態に着目するという方法論が導入され、多少雰囲気が異なってくる。「中世話し言葉の世界」では、書生と荘園の関係において漢語の使われ方が浮き彫りにされる。なかなか面白いが、どうも各論という印象がある。

「文字となった話し言葉」では、まずキリシタン資料などに触れた後、知識人の流動や方言の問題と絡めてそれらの資料に記載された言語が一種の標準語となりつつあったと、特に豊臣政権によって上方に標準語圏が形成され、さらに徳川政権による

江戸への首府移転によって、「上方―江戸(山の手)」という共通語地帯が生じたと考えればよい。(p.193)

と述べられる。「スタンダードが東京語を作った」では、山の手において明治初期に激しい人口流動があったが、それが逆に山の手において近世以来の標準語が用いられる原因となり、

それは標準言語として人々に意識され、特に誰かが「全国統一話し言葉」を定めなくとも、おおむね標準語の輪郭が定まった。(p.202)

と主張される。もしこのような描像が成立するのであれば大変面白いのは確かであるが、一方で方言の取り扱いにナイーブな面も見られたりするので、有力な仮説の一つ程度に考えておくのがよいと思われる。

「補説 音声と音韻」では、音素の認定方法などが単純化しすぎない範囲で要領よくまとめられており、参考になる。